野球の逸話(エピソード)で一番凄いのってどんなのがあるの?
野球の逸話(エピソード)で一番凄いのってどんなのがあるの?
落合がピッチャー返ししたとかなんとかいう話 や落神 長嶋茂雄が電話越しで松井のスイングを指導 あれ? 王やったかな? >> 掛布やで オリオンズのオーナーが持っていた株全部ロッテに渡してライオンズ買収オーナー就任 稲尾「いたたたたた…肩壊してしもうた。」 稲尾「鉄球投げてもっと強い痛みに慣れたからへーきへーき」 中西太の場外弾 ベーブルースの病気の少年に捧ぐホームラン 逸話ではないが、20世紀のスーパースターの王と長嶋が、20世紀最後の年に監督同士で対決したことやな 野球の神様はいると思った 江夏のもそうやけど、昔の逸話は凄すぎて信じられん 落合のプロ入りまでもすごいと思う 金田が180km投げてたとかいう逸話 スピードガン無い時代やからどうやったんやろ >> 昔なんかのテレビで見たが、昔の投球映像から球速を予測することが出来る、みたいなのがあったぞ それによると金やん158、江夏159とかだった気がする 試合でも常に拳銃を所持していたタイカップ 一番ではないけどパッと思いついたのはこれ 横浜とのオープン戦で。篠宮球審は1球目、インコースのボールを誤ってストライクとコールしてしまった。 「やばいと思っていると、イチローが“今のはいっぱいですか”と聞いてきた。 仕方なく、そうだと答えると、聞き逃さなかった谷繁(元信)捕手がまったく同じコースを要求した。 うわ、見逃されたらどうしようと思った瞬間、イチローはその球をツーベースにしたんです。審判に合わせてストライクゾーンをアジャストしてしまう。 谷繁捕手が“イチローはやっぱ天才だ”といったのが印象的でした」 打者、捕手、投手 皆一流ならではのエピソードだよなあ 落合はめっちゃネタあるよな ↓とかも 記者「秋山選手マジでパネェっすわ。今年はホームラン40本くらい打って本塁打王じゃないすか?」 落合「40じゃ無理だわー。俺が50打つもん」 この年、本当に50本打って本塁打王をとる落合 江夏は、江夏の21球とかノーヒットノーランのサヨナラホームランとかもあるしな 江夏と落合はどの話も面白い 江夏は9者連続奪三振もやね 落合がグリップのほんの数ミリ以下の違いに気づいたやつ オールスター先発に選ばれた両リーグ新人の野茂と与田。 勢いを見せた2人だったが、与田が清原に本塁打を浴びる。 ガックリしながらベンチに戻る与田に、当時チームメイトの落合が 「お前、もう賞品もらえないな。じゃあ野茂にも獲らせるわけにはいかない」 と告げ、野茂から本塁打を打った話 広島の森笠(現コーチ)は選手名鑑の質問「好きな女性のタイプは?」に 「適当でいいですよ」と答え、それを聞いた金本に「藤崎詩織(ときめきメモリアル)」と書かれた。 阪神時代の新庄、 お立ち台で「明日も勝つ!!」 →その翌日から阪神タイガース12連敗 前田智徳が甲子園の試合中ベンチでうずくまって泣いてて、監督に頼むから守備についてくれ、って言われた話 堀内恒夫の名言 ヤクルトの、相手の嫌な事を徹底して付く戦略の中でも、シュートは重要でね、一回終わった投手でも、シュートを自分の源にすることで蘇る。 打者からすると嫌らしい球ですけど、死んだ投手を生き返らせる、戦略ともそれはあっている、野村監督の再生の要の中の一つでもあり、興味深いですね。 ただ、その分、負担が大きく寿命を減らす、中には野村の投手再生は潰しているだけだ、と言うのもいますけど、 投手の生き死にを知らん輩だから言えるのでね、もう死んだ自分がマウンドで、自分の球、プライドの、自分自身を再び相手にぶつけられる、 投手として生まれ、生きて、死んでも死に切れない、あの場でまた自分に成れるのならば、どんな代償だって、命も惜しくないんですよ、投手は。 それをね、投手の使い捨てだの何だのと、野村批判がしたいだけなんだろうけどね、投手を侮辱するにも程がある。全く。 そらポーカー賭博で逮捕された後の会見で逮捕された当の本人がトランプ柄のセーターを着て現れたという逸話がナンバーワンやろ。 藤浪HR前のマートンの助言 HR打つ直前「フージー(藤浪)は次の打席確実にHRを打てるから思い切り打て」と言った マートンが自慢嫌いやから藤浪の口からしか言ってないけどすごいと思った(小並感) オールスターにて 落合「荒木ホームラン打ってこい」 荒木「ヒヒーン」 ダブルヘッダーの時のブライアント(笑) 単純に一番好きなのがブライアントていうのもありますが。 余談だがサターンのグレイテストナインのブライアント、文字通りバットの端で当てても余裕でHR打てます。基地外や! (わかる方万歳wwwww 外木場「なんならもう一回やりましょうか?」 そら天覧で御退場の三分前にサヨナラHR打っちゃうセゲオ以外にあらへんやろ ワイは江夏の奪三振記録を押すで 1968年9月17日、甲子園球場における対巨人戦で、稲尾和久の日本記録を塗りかえるシーズン354奪三振を記録。 試合に先立って江夏は、日本記録更新となる奪三振を王貞治から取ると公言していた。 そして試合では、日本記録タイとなる353奪三振を王の打席で記録したが、江夏本人はこれで日本記録を更新したものと勘違いをしており、ベンチに戻ってから捕手の辻恭彦にそれを指摘されて初めて気がついたという。 そこで後続の打者は全て意図的に凡打で打ち取り、再び王の打席が回ってきた時に、記録更新となる354個目の三振を奪う離れ業を実現してのけた。 江夏によると、「森(祇晶)さんと高橋(一三)さんからは三振を取らないようにするのが、むしろ大変だった。特に高橋さんを2ストライクまで追い込んだのが一番困った」という。 しかもこの試合では、延長12回に自らサヨナラヒットを放って試合に勝利を収めている。 この試合の様子にも表れているように、江夏は王から三振を奪うことに取り分けこだわっていた。 これは村山実が節目の記録となる三振を常に長嶋茂雄から奪うようにしていたことを真似たものである(新人時代に村山がONを指さして 「お前の相手はあれ〔王〕、俺はこっち〔長嶋〕や」と、王をライバルとするよう命じられたともされている)。 これ以降も江夏は王との勝負に固執し、通算で57の三振を奪ったが、直球で勝負を挑んでいたために20本の本塁打も打たれている。 王から最も多く三振を奪った投手は江夏だが、江夏から最も多く本塁打を打った打者もまた王である。 そしてこのシーズン、江夏は最終的な奪三振記録を401個にまで伸ばした。 これは現在でも日本プロ野球記録であり、また世界記録として認定されていないものの、MLB記録(ノーラン・ライアンの383個)をも上回っている。
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