戦後、首位打者を獲得するも通算1000本安打以上打てず引退した選手…
戦後首位打者を獲得するも 通算1000安打以上打てず 引退した選手… |
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9人もおるんやな… |
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飯島滋弥 通算901安打 |
森永勝也 通算963安打 |
永淵洋三 通算962安打 |
吉岡悟 通算314安打 |
佐々木恭介 通算883安打 |
高沢秀昭 通算932安打 |
平井光親 通算822安打 |
嶋重宣 通算868安打 |
鉄平 通算878安打 |
5: |
とりあえず一人ずつ紹介するわ |
飯島滋弥(元東急・大映他、1946年~1955年) |
通算953試合 .282(3196打数901安打)115本塁打 484打点 48盗塁 |
1952年首位打者(.336)、1950年~1952年ベストナイン |
日立航空を経て戦後27歳でプロ入り。1年目から打率3割越えの活躍を見せるがその後は不振・フロントとの確執もあり僅か3年で移籍。 |
移籍後打撃が復調し首位打者を獲得するがその時既に33歳だった事もあり以降低迷。1955年36歳で引退。 |
引退後1967年から東映打撃コーチとして復帰し大杉勝男を育成。しかし1970年に51歳で胃がんのため死去。 |
6: |
森永勝也(元広島・巨人、1958年~1970年) |
通算1306試合 .270(3569打数963安打)81本塁打 421打点 45盗塁 |
1962年首位打者(.307)、1961年~1962年ベストナイン |
社会人・熊谷組を経て1958年広島に入団。1年目から主軸打者として活躍する。 |
1962年に2リーグ分裂後最低打率で首位打者となるが、この年規定到達者で打率3割越えは森永だけだった。 |
その後巨人で引退した後広島にコーチとして復帰。1974年は監督を務めるが1年で辞任した。1993年59歳で肺がんのため死去。 |
10: |
永淵洋三(元近鉄・日本ハム、1968年~1979年) |
(野手)通算1150試合 .278(3461打数962安打)109本塁打 409打点 134盗塁 |
(投手)通算12試合 1敗 19.1回 9奪三振 防御率2.84 |
1969年首位打者(.333)、1969年ベストナイン |
漫画「あぶさん」のモデル。社会人・東芝から入団テストを経て25歳でプロ入り。契約金から飲み屋へのツケを支払ったとの事。 |
1年目は二刀流として活躍し2年目以降は野手に専念し主軸打者に。その後も活躍するが若手の台頭で出番が減り日本ハムに移籍。 |
1979年に引退後は1年間日本ハムのスカウトを務め辞職。現在は佐賀で焼鳥店「あぶさん」を営んでいるという。 |
11: |
やっぱ遅咲きの選手が多いんやな |
12: |
吉岡悟(元ロッテ・西武他、1968年~1981年) |
通算546試合 .247(1269打数314安打)12本塁打 89打点 39盗塁 |
1976年首位打者(.309)、1976年ベストナイン |
富山商業からドラフト10位で東京に入団するも一軍には定着できず1975年トレードで太平洋に移籍。 |
すると翌年打撃が覚醒、レギュラーを獲得し首位打者を獲得した。しかし翌年は打率.228まで落ち込み以降出場機会も減少。 |
トレード移籍した日本ハムで1981年に引退した後は東北放送ラジオで解説者を務めていたが2005年以降は出演しておらず現在も不明。 |
14: |
>>12 |
史上最低の盗塁王が藤村なら、首位打者はこの人やろな |
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>>14 |
内閣をまったく討てんかったらしいな |
やっぱり弱点がはっきりしとると一発屋になりがちやな |
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佐々木恭介(元近鉄、1972年~1982年) |
通算1036試合 .283(3119打数883安打)105本塁打 412打点 94盗塁 |
1978年首位打者(.354)、1978年最高出塁率(.398)、1975年・1978年ベストナイン |
新日鐵広畑から入団しプロ3年目にレギュラーを掴むとその4年後に首位打者を獲得。その後も2年連続で打率3割を記録した。 |
しかし1982年肝炎による内臓疾患により32歳の若さで現役引退を余儀なくされる。引退後スカウトを1年務め指導者に転身。 |
近鉄・阪神・西武・中日でコーチを務め、1996年から4年間は近鉄の監督として指揮もした。現在は社会人野球・大和高田クラブ監督。 |
19: |
>>16 |
江夏の21球の近鉄側で無死満塁から代打で登場した人やな |
20: |
>>16 |
.261打って次の年引退 |
18: |
病気で引退ってやつは可哀想やな |
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高沢秀昭(元ロッテ・広島、1980年~1992年) |
通算1005試合 .284(3278打数932安打)95本塁打 399打点 107盗塁 |
1988年首位打者(.327)、1984年・1988年ベストナイン、1984年・1987年~1988年ゴールデングラブ賞 |
王子製紙苫小牧からロッテに入団。当初は遊撃手だったが故障のため4年目から外野手に転向。1984年ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞する。 |
その後も主力として活躍するが毎年のように怪我をしていたためか、タイトルを獲得した翌年オフに高橋慶彦らとのトレードで広島に移籍する。 |
広島では1年弱プレーしたが1991年途中ロッテに復帰し翌年引退。引退後は2009年までロッテでコーチを務め、現在はマリーンズアカデミーのコーチ。 |
23: |
>>22 |
昭和の多村仁志かな? |
24: |
平井光親(元ロッテ、1989年~2002年) |
通算1067試合 .272(3027打数822安打)39本塁打 294打点 20盗塁 |
1991年首位打者(.314)、1991年ベストナイン |
愛知工業大から入団し3年目にレギュラーとなり首位打者のタイトルを獲得。その後もシュアな打撃で活躍し1998年にも打率.320を記録。 |
1999年以降は出場機会も減少し2002年引退。引退試合では門倉健からタイムリーツーベースを放った。同年はその打席が唯一だったため打率1.000で引退している。 |
引退後は編成担当、二軍コーチ、球団職員を務め2014年退団。2017年からは母校愛知工業大学の監督を務める。 |
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ロッテ 広島が多い |
27: |
嶋重宣(元広島・西武、1995年~2013年) |
(野手)通算1034試合 .279(3116打数868安打)126本塁打 421打点 22盗塁 |
(投手)通算2試合 1敗 2.1回 1奪三振 防御率7.71 |
2004年首位打者(.337)、2004年最多安打(189安打)、2004年ベストナイン |
東北高校から投手として広島に入団。一軍でも2試合に登板したが芽が出ず1999年に野手転向。すると転向1年目から3本塁打の活躍を見せる。 |
その後は二軍暮らしが続いていたが2004年打撃が開花首位打者と最多安打、ベストナインのタイトルも獲得し「赤ゴジラ」のニックネームと共に時の人となる。 |
しかしその後は徐々に成績も低下、2012年には西武にトレードされ翌年引退。引退後そのまま西武のコーチに就任し現在は一軍打撃コーチ。 |
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はえ~ |
28: |
鉄平(元中日・楽天他、2001年~2015年) |
通算1002試合 .278(3159打数878安打)42本塁打 340打点 68盗塁 |
2009年首位打者(.327)、2009年ベストナイン |
津久見高校から中日に入団。当初は遊撃手だったが打撃を活かすために外野手に転向。しかし有力選手が多くいたことから当時の落合監督の配慮で楽天にトレード移籍。 |
移籍1年目からレギュラーを掴むと移籍4年目に首位打者を獲得。翌年も打率3割を記録する。しかし2011年導入の統一球の影響か打撃不振に陥り出場機会も減少する。 |
その後オリックスにトレード移籍するも活躍できず2015年引退。現在はイーグルスアカデミーコーチや野球解説者、また社会人野球でもプレーしており、更には「鉄柳 with TACK」として今年8月CDデビューも果たした。 |
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>>30 |
アーティストになってて草 |
サムソンリーかな? |
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最後に各選手が首位打者を取った時の年齢とプロ年数を |
飯島滋弥 33歳(プロ7年目) |
森永勝也 28歳(プロ5年目) |
永淵洋三 27歳(プロ2年目) |
吉岡悟 27歳(プロ9年目) |
佐々木恭介 28歳(プロ7年目) |
高沢秀昭 30歳(プロ9年目) |
平井光親 24歳(プロ3年目) |
嶋重宣 28歳(プロ10年目) |
鉄平 26歳(プロ9年目) |
本当にプロ入りから早く且つ若くしてタイトル獲ったってのは平井さんだけなんやな |
35: |
あ、一つ言い忘れた |
外国人選手は今回除外してるで |
タイトル獲るほど活躍した後メジャーに帰ったり、数年で解雇されたりってケースが多いから |
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なんJ 2ch 5ch スレ まとめ 2ちゃんねる 5ちゃんねる