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幻、破談になったトレードの話を淡々とあげていく




幻、破談になったトレードの話を

淡々とあげていく



FA制度が出来る前

今以上に頻繁に行われいたトレード



その中には

破談になったトレードもいくつかあり、

それが表に出るケースも稀にあった



そのケースをあげていこうと思います





2015年

山川(西武)⇔広島、阪神



当時2年目の山川に

広島、阪神のフロントが

目をつけてトレードを申請



対象選手の情報は出なかったが



2年目の山川を放出するわけがなく

破談になった





2001年

坪井(阪神)⇔土肥(西武)



野村と関係が悪かった坪井が放出対象選手に



西武の土肥とまとまりかけたが

星野監督誕生で話が流れた





1995年

高(広)⇔西口(西)



スポーツ新聞が報道



当時1年目の西口と広島では守備固めが

メインだった高のトレード





西武ばっかやな



筒香大田もあったな



中田翔藤浪もあったな





1985年

有田(近鉄)⇔定岡(巨人)



定岡がトレードを拒否し、引退で破談



ただしトレードの話は続き、

有田は淡口と山岡のトレードで

巨人へ移籍した





1965年

広岡(巨人)⇔金銭(ロッテ)



本人が著書で告白

巨人で選手生命を終えたいと伝え

破談に



ロッテの選手珍しい名字やなあ





1989年

高橋慶(広島)⇔田辺(西武)



球団と関係が悪くなり

トレード要員になった高橋



しかし

釣り合わないトレードだったのか

破談になり

変わりにロッテ高沢秀とのトレードが

成立した





2001年

石井貴(西)⇔清水(巨)



松沼が西武コーチ就任で話が流れる





1988年

工藤(西)⇔宇野(中)



週ベが報道



当時不振の工藤を宇野で釣ろうとしたが

西武が拒否し破談へ





1997年

広沢(巨人)⇔キンセン(横浜)



金額が釣り合わず破談へ



カタカナだと台湾人選手に見える



1994年

吉田豊(ダイエー)⇔佐々木(横浜)



根本がフロントに入ったダイエーは

抑えがほしくて佐々木に目をつける



当時の近藤監督と関係が悪かった事もあり

成立寸前のところまでいったが



上層部の反対に合い消滅



このトレードが成立していたら

横浜の歴史も変わっていたかもしれない





2000年

藪(阪神)⇔垣内(西武)

藪(阪神)⇔飯田(ヤクルト)



新庄移籍の穴埋め、右の大砲を求めた野村は

藪をネタに画策も成立までいかず・・・



面白いな



2000年

今岡(阪神)⇔山部(ヤクルト)



野村と関係が悪かった今岡を

目をつけたのがヤクルト



野村チルドレンだった山部を放出し



ほぼ成立寸前までいったがOB会から

猛烈に反対され幻となった





2003年

嶋(広島)⇔関口(近鉄)



伸び悩んでいた嶋の処理に困っていた広島は

近鉄にトレードを持ちかけるも拒否



翌年その嶋が

赤ゴジラとしてブレイクするあたり

野球は分からないものだと思う





2001年

今岡&藪(阪神)⇔オリックス



対象選手は不明も

オフに監督に就任した星野が

「一年だけ様子を見させて欲しい」

と発言し破談へ



1978、79年ごろ

東尾(西武)⇔定岡(巨人)



日刊スポーツが報道。



長嶋茂雄がどうしても成立してほしいと

懇願したらしいが



当時プロ0勝の定岡と

東尾では釣り合うわけが無く破談へ





というか球団が

「東尾の放出は球団の死を意味し、

それは我々が経営の当事者である限り

ありえない」

との声明を発表したんだよな




それは1977年のクラウン時代



巨人は

東尾がどうしても欲しかったみたい





1995年

赤堀(近鉄)⇔門奈(巨人)



落合がさんまのまんまに

ゲスト出演したときに告白



パ・リーグを代表するストッパーと

1軍半の選手だった門奈なので

釣り合うわけがなく拒否される





1975年

門田(南海)⇔原田・上田(巨人)

神部(近鉄)⇔原田・上田(巨人)





最下位に落ちた巨人は

トレードでチーム強化を狙うも

拒否された





梶谷が2軍で燻ってた頃

あらゆる球団から

トレードの申し込みがあったけど

必死で2軍監督が守った

という話も聞いたことがある





クビ候補だったと聞いた事もありますね



2001年

藪(阪神)⇔高村(近鉄)



前年度に続き野村が

藪をネタにトレードを打診



ほぼ成立寸前までいくが

奥様の不祥事で辞任され話は流れる





1996年

猪俣(神)⇔小早川(広)



阪神が打診



どちらも伸び悩んでいた事もあり

成立は確実といわれたが

何故か話は流れる



二人ともそのオフに

チームから退団している





1998年

平尾(阪神)⇔高(広島)



阪神が打診



高が広島で現役を終えたいと言い、

トレードは流れる



数年後平尾は西武へ

谷中とのトレードで移籍した





1961年

米田(阪急)⇔王(巨人)



詳細は不明だが阪急が拒否



当時の王の成績や実績を見れば

当然かも知れないが成立していれば



阪急の歴史は変わっていた

可能性があるかも知れない





阪神多すぎませんかね?



まあ単純に取材の量が違うんやろな

ヤクルト取材するより金になるやろうし





というか年見てる

とほとんど暗黒終末期あたりやし

ネタに困ってたっていうのもありそうやな



阪神のはフロントが喋り過ぎてんよな





2012年

大場(SB)⇔吉村(横浜)



スポーツ新聞が報道



しかし大場は放出されず



多村、吉川、神内(SB)

⇔江尻、吉村、山本(横浜)

のトレードに変わった





2002年

大塚(近鉄)

⇔田中秀、キンセン(阪神)



ポスティングシステム失敗時に

阪神が近鉄に提示





2004年

野口(中日)⇔清原(巨人)



ウッズ獲得したため

中日が拒否





1988年

平田(阪神)⇔紀藤(広島)



当初阪神は金石を希望も

広島が拒否



広島が紀藤ならと持ちかけるも

阪神が拒否し流れた





2000年

井上、井川(阪神)⇔初芝(ロッテ)



野村が週刊誌で後に暴露

目先にばかりとらわれた先見の無さと

フロントを批判した

なお井上は2002年に

ロッテに自由契約を経て入団している





1992年

松永(オリックス)⇔仲田(阪神)



オリックスを移籍志願していた

松永の獲得に動いた阪神

当初は阪神は島尾をトレードで持ちかけるも

オリックスは当時のエース格仲田を要求



仲田は出せないと断ると

野田でどうだと言われ

トレードが成立した





1998年

大豊、中村(中日)

⇔久慈、関川、桧山(阪神)



吉田監督は中村の獲得を懇願

(山田の育成に限界を感じたため)



中日の正捕手の中村を取るために

桧山の放出を考えるも

フロントが桧山の放出を拒否し、流れる



結果

中村が2番手捕手だった矢野に変わり

トレードは成立した





時期不明

大田(巨人)⇔安部(広島)



夕刊フジが2年前に報道

正二塁手候補として広島出身の大田を餌に

トレードを打診も折り合いがつかず流れる





2003年

仁志、江藤(巨人)

⇔藤田、小林雅(ロッテ)



ロッテが清水の追加を求めるも

巨人が拒否し流れる





1988年

山内和+松崎(ダイエー)

⇔真弓(阪神)



南海からダイエーに、

大阪から福岡へホームを変えたホークスは

九州出身の真弓の獲得に動いたが



人気選手だった事もあり阪神が拒否



なおダイエーは95年にも

真弓獲得の噂が流れたが

実現には至らなかった





1977年

藤波、竹田(中日)⇔基(クラウン)



藤波が拒否し破談へ

結局竹田は松林とトレードで

クラウンへ移籍





基って大洋いったやつ?



末期は大洋

黒い霧疑惑のかかった選手の一人

だったはず



誘いを受けたことを隠してたんやっけ?



そうそう

そして真弓の恩師だったはず





2006年

仁志(巨人)⇔谷(オリックス)



トレード志願した仁志の獲得に

最初に動いたのはオリックス



谷を相手に話を勧めるも仁志が

オリックス行きを拒否

(余談だが当時のオリックスは

清原やノリがいた)



結果横浜へ移籍

谷は鴨志田、長田のトレードで

巨人へ移籍した





2009年

高井(ヤクルト)⇔木佐貫(巨人)



元々巨人行きをドラフト時に志願していた

高井に関心を示していた原は

伸び悩んでいた高井の獲得に動く



木佐貫の放出も考え、

高田監督も前向きだったが



ドラフト1位で獲得した選手は

簡単には放出しない球団方針のある

ヤクルトフロントが拒否し話は流れる





2014年

武山(西武)⇔中村(横浜)



度重なる造反行為で中畑と関係が悪化していた

中村に伊原監督が興味



「俺がしっかり教育するから」

と再生に自信を見せ

在籍経験のある武山で獲得に動いて欲しいと

フロントに申請するも



「うちのチームカラーに合わない」

と却下される



トレード要員だった武山は同年

中日へ移籍している。





2012年

秋山(阪神)⇔今成(日ハム)



今成獲得に動いていた阪神に

ハムは秋山を要求



当時結果が出ていなかった秋山に

フロントも放出を考えるも

前年オフにオーストラリアリーグに

派遣していた事もあり



様子見と判断し、断りハムは若竹で

再度トレードを要求し成立する



若竹、岩田の左右のエース期待した

数週間がありました





1967年

稲尾(西鉄)⇔広島



キンセンか選手かの詳細は不明

当時衰えていや稲尾だが

翌年から監督になった根本が

獲得に動いていたとか





補足

稲尾の移籍は

西鉄の豊田泰光が著書に記載



当時稲尾の後援会長がチームに

移籍を拒否していたらしい





1972年

湯口(巨人)⇔ロッテ



ロッテ監督に就任した金田が

当時色々あった湯口を心配し

トレードに乗り出すも

実現せず





あっ…



これは闇



ピュアJ民に捕捉しとくと

湯口は元ロッテの小川と同等に

人間として腐ってる

おんJ民ですらしっかりと

触れたがらない選手なんや





2003年

佐伯(横浜)⇔小笠原(中日)



落合監督就任で

トレードの凍結を宣言し破談に

佐伯は後に中日へ入団している




佐伯の闇が深いところは

確かこの時球団に意見したのが

問題視されて放出危機に陥り




後にTBS末期に絶縁状を

一方的にたたきつけられて

以後DeNAに移行するまで佐伯は

横浜OBを名乗れなかった





2009年

藤田太(阪神)⇔赤田(西武)



赤田が選手会長だった事がネックで

流れるも

トレードは水田で成立

赤田も翌年オリックスへ移籍している





コーチとしても迎え入れる気は無い

といわれたとかきくね



せやで

コーチも横浜がらみの解説もさせないと





1989年

バークレオ(西武)⇔大野(広島)



月刊ドラゴンズが記載



広島が干されていた

バークレオの獲得に動くも

西武は大野を要求し流れる



バークレオは

翌年広島へ移籍している



酷い話だよね



それが今や堂々と

テレビ神奈川に出てるからな

谷繁のテレビ神奈川レギュラー番組決定

もやが





最近TBSと喧嘩別れしたメンバーが

次々とベイスターズ関連の仕事に帰って来て

ビックリよ




落合のトレードも初めは中日じゃなくて

巨人の予定やったんやろ



あれは有名だよね

篠塚とかだっけ





1990年

大野(広島)⇔西武



小池のドラフトクジを外した西武は

どうしても左腕が欲しかった。



しかし大野を出す事を拒んだ広島は

高木宣のトレードを提案

91年に高山とのトレードが成立した





2012年

日高(オリックス)⇔久保田(阪神)



捕手がいない阪神は日高獲得に動くも

オリックスが久保田を要求したため破談へ

結果阪神は今成獲得に動くのであった





1983年

江夏(ハム)⇔篠塚、キンセン(巨人)



大沢退陣で移籍が確実と見られた江夏に

巨人が興味



しかし西武が巨人に取られる前にと

柴田、木村でトレードをもちかけ

西武へ移籍することに





時期不明(古葉時代)

川藤(阪神)⇔広島



川藤が我が道で告白



広島の古葉監督が川藤にほれ込み

本人も移籍するつもりでいたが



阪神が交換トレードを要求して

広島のフロントが

そこまでして欲しい選手ではないと

言われ拒絶される






川藤らしい







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